仕事場が秋葉原駅電気街口から徒歩数分という場所にある。小さなビルの6階だ。非常階段でタバコを燻らせていると、駅のプラットフォーム、行き交う山手線や京浜東北線、東北・上越新幹線などを見ることができる。雨が降ったあとの神田川が濁っていた。最終回を迎えた当コラムの仕込みを、こんな場所でしてきたわけだ。
「ベクターのサイトって、ユーザの顔が見えないと思うんですね。利用者の声を聞くことができるようなコラムを載せてみませんか?」
仕事場を来訪されたベクターのA取締役に、こんな話をした記憶がある。
「それは興味がありますね」
A取締役の目がキラリと光った。即決で話はまとまった。
千駄ヶ谷の柴田さんからメールが届いた。
「(ソフトの)値段のテーマはまだ生きているでしょうか? 生きているなら私も乗せてください。10年ほど前にはソフトはとても高価だったように記憶しています。もう忘れてしまったのですが、どこかのメーカーがソフトの価格破壊を画策し、全商品を9,800円で販売していました。その当時としては衝撃的な値段だったのです。その作戦が成功したかどうかは知る由もないのですが、それ以降、値崩れ傾向が続いているように感じています」
柴田さんが書かれた9,800円のソフトとは、アシスト社が提案した表計算やワープロなどのソフトだと思う。「アシストカルク」が、もっとも有名ではなかったか? このシリーズが発売される以前、東芝のダイナブックが19万8,000円という、ノートパソコンとしては衝撃的な価格設定をした。アシスト社では「ハードが安くなったから、ソフトも安くならなければおかしい」といった主張をしたはずだ。
当事、オレはアキバの現役店員であり、しかもソフト売場の責任者だった。この会社のセールスマンと激論を交わした。思えば、ソフトの価格に対する問題意識が強くなった原因に、この激論もあった気がする。
「他店さんでは置いてくれているのに、どうして御社では仕入れてくれないんですか?」
「ソフトの価格をハードと対比しているからですよ。だいたい、御社のソフトは既存ソフトを焼き直して、大量販売を前提に価格を廉価にしただけのものでしょう。一から企画・開発したソフトではないことを明確にしていただかないと、他のソフトやお客さんに誤解を与えてしまいます」
上記の会話ではアシスト社が悪者のようになっているが、開発会社が正当な契約で販売権を譲渡した結果だ。どこにも非はない。「ハードが安くなったから……」にしても、安さを訴求するための宣伝コピーに過ぎない。
ビジネスソフトの価格が年々下がっている理由は、柴田さんの指摘も多少はあるだろう。が、オレはパソコンの普及台数が関係しているのではないかと思う。さらに、インターネットに代表される通信インフラの整備も関係していると思う。スケールメリットというやつだ。
当コラムではソフトに関するいろいろな問題が提起されたが、ソフトウェアという無体財産の適正価格は永遠に続くテーマだと感じたのはオレだけではあるまい。ビッグゲートさんが、こんなメールをくれた。
「ソフトは、Internet ExplorerやAcrobat Readerのように大手が商業インフラとして作って、それを使ってビジネスを考える会社がある一方、ユーザは大手が手を出さないソフトを個人で作って(あるいは作られたものをベクターで探して)使うという連鎖が楽しいのだと思います」
音楽業界がそうであるように、ソフトの世界も「メジャー」と「インディーズ」という構造になりつつある。マイクロソフト社やアドビ社の製品に匹敵するようなソフトを小規模資本の会社が開発することは、もはや不可能だ。まして個人が開発するとしたら、必然的にニッチ分野のツール開発に集中するはずだ。ならば、ソフト開発はつまらないものになっていくのか?
オレのマーケティング的な観測では、そうではないと考えている。まだ8ビットパソコン全盛時代、アキバの九十九電機や富士音響では、学生やホビイストが開発したゲームソフトを自店レーベルで発売していた時期があった。パソコン市場の揺籃期の現象といえばそれまでだが、デファクトスタンダードなソフトの位置付けが明確になった現在、個々のユーザたちは、それに飽きはじめているのではないか?
結論を急げば、ネオインディーズ的なソフトへの希求がベクターに登録されたフリーソフトやシェアウェアのなかに見られるような気がするのだ。事実、某有名企業で働く知人から、あるシェアウェアの権利を買収できないかと依頼されたことがあった。現在、メジャーだからと慢心していては、近い将来、足元をすくわれてしまうと思うよ、ビッグゲートさん。
大嶋和人さん、ニャン子さんから、当コラムの中締めを惜しむ声が届いた。筆者としては感無量と照れるだけだ。さきほどの柴田さんが、そんなオレの気持ちを代弁してくれるようなことを書いてきてくれた。
「当コラムに関係したすべての方々に、またどこかで会えることを切に願っています」
I will call again some other time.