まずは、タイ王国在住の鈴木宏志さんに陳謝しなければならない。先週、ソフトの価格面に重きを置いてしまい、鈴木さんがレクチャーしてくれたもうひとつのお話、「タイの人々はよく働く」ということを書き落としていた。否、正確に書けば、書いたのだけど推敲中に削除してしまったと言うべきだね。
このコラムは島川がテーマを決めて、投稿された人には失礼を承知で、前略・中略・後略の記載なく、投稿メールの一部とコラボさせていただいている。故に「オレの言いたいこととは違うよ」「あたしはこう伝えたいのぉ」ということが生じるはずだ。メールをくださった方々よ、そう感じられたら、ぜひとも、その旨お伝え願いたい。鈴木さんは以下のように書かれていた。
「彼らは、正当な報酬が得られるならば実によく働きますし、店のサービスも日本以上によいです。労働基準法がどうなっているのかは知りませんが、私の周りにいる人々は、毎日超過勤務でも一言も文句を言いません。休日出勤でも平気です」
さらに、日本の現状を憂いておられるかどうかはともかく、こうも書かれていた。
「パソコンショップや電気店で買い物をすると、箱から中身を出して、商品の確認と動作確認までしてから、支払いになります。いまのところ私の知る日本のショップでそのような経験は一度もなく、何度も不良品をつかまされています。また、子どもを連れて行ってもイヤな顔一つしません。店の商品を使って遊ばせてくれることすらあります」
この部分を読ませていただいたとき、オレは'80年初頭のアキバの姿が浮かんできた。まだパソコンという商品の揺籃期、オレは売買が成立すると、こんな接客話法を使っていたものだ。「立ち上がる(電源が入り、画面に何某かのメッセージが表示される)かどうかテストしましょうか? パソコンは半導体の塊ですので、初期不良品にぶつからなければ、まず故障することはありませんし……」
大半のお客さんは、こう話しても、「いいよ、いいよ」と首を右左に振るばかりだった。現在のアキバで、購入客が「立ち上がるかどうか動作チェックして」と話そうものなら、まず店員から嫌な顔をされるだろう。メーカーの品質に対する信頼と、店員の接客効率の追究がそうさせているわけだ。ちなみに、オレも肩書に役職が付くようになってから、そんな店員になってしまった気がしている。
さらにソフトに関しては、部下にこんな指示を出していた記憶がある。「アプリ(アプリケーションソフト)はソフトハウスとユーザの契約商品だ。下手なサポートをすると法的措置に出られる場合があるから、接客の際に言質を取られないように気をつけろ」
実際、関西の方のお店で、店員が顧客のデータを無断で消去してしまい、その補償を求められるような事件も起きていた。このときはビジネスソフトだったと記憶するが、ゲームソフトでも例外ではない。店員から「おもしろい」と断言することは禁止していた。接客相手から「このゲームはおもしろいですか?」と訊ねられたら、「おもしろさというのは、個人々々違いますので……」と話して、お茶を濁すよう指導していた。なかには「あなたに責任を取らせるようなことはしないから、本当のところを教えてよ」という人もいたが、それでも官僚答弁に終始するのがソフト売場の歯がゆさなのだった。
ソフトウェアの煮え切らない部分に「バージョンアップ」もあると指摘してくれたのがTAKENOSHITAさんだった。長文メールだったので、島川が勝手に整理させていただくが、読者はどのように感じられるだろうか?
バージョンアップの際、ソフトによってインストール設定がまちまちであってはならないというものだ。TAKENOSHITAさんによれば、前バージョンのインストール状況をチェックしてから、上書きするか、インストール先を任意指定できるインストール方法を標準にすべきではないかということだ。なるほど、前バージョンのインストール状況をチェックしても、まったく別のフォルダに新バージョンをコピーされてはディスク容量を無駄に消費してしまう。なかには前バージョンのインストール状況をチェックしないで、強制的なインストールをしてソフトの一部を壊すような困りものもあるとのことだ。ソフトのインストールに関して「わたしゃ、こんな経験をしたもんね」という読者がいれば、投稿メールをお待ちしている。
そういえば、「シンプルなルールほど中毒性が強い」という視点に、もりすけさんから新しい提案がきたのでお知らせしておく。以下の文面を読んでオレも驚いた。
「紹介されている『SameGame for Windows95』自体は私が作ったものではありませんが、このルールは私が約17年前に月刊アスキーに投稿したゲーム「ChainShot」が原典になっていたからです。本当にうれしい限りです」
なんと、もりすけさんは、あの中毒ゲーム「さめがめ」の創案者らしいのだ。で、さらに、シンプルゲームの中毒性についても説明してくれた。この論議が少しく切り拓かれたのではなかろうか?
「この種類のものでは『フリーセル』がありますが、『シンプルなルール』だから中毒性が強いのではなく、『達成感』や、ふと途が開ける『展開の快感』がうまくミックスされて中毒性があるのだと思います」
もりすけさんによれば、上記のようなポイントを理解していても、「努力やがんばりだけでそういう作品を生み出せるものではありません」とのことだ。言わんとするところは、ゲームを開発しようとする「努力」や、プログラミングという「頑張り」も必要だが、さらに磨かれたエンタテインメント「センス」も必要だということだナ。