島川言成のベクター縦横無尽
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島川言成のベクター縦横無尽
 シンプルなゲームの奥深さとじゃんけん (02.07.26)

神田須田町にある仕事場を離れたのが24日の18時過ぎ。19時30分から懇意にしている某出版社社長が某メーカー部長を紹介するという。約束の時間まで1時間以上もある。で、靖国通りを小川町方向に歩きはじめ、小川町の交差点から裏通りに入った。「裏通り散歩」はオレの趣味で、ベクターに登録されたマイナー組ソフト(開発者のみなさん、失礼!)を探索するのを楽しむように、首を左右に振りながら、おお、こんなところにラーメン屋ができたかと感心したりする。

さて、またまた大嶋和人さんから投稿が届いた。ちょっと話題にした「さめがめ」のような「シンプルな規則のゲーム」に関する見解を囲碁に見立てて書いていた。

「シンプルな規則のゲームの方が熱中するのは、ただシンプルなだけではなく、そのシンプルな規則を操ることによって、複雑なパターンが出現するところがおもしろいのだと思います」

とのことだ。なるほど、日本棋院で三段で打ってきたオレには、おっしゃられることがよくわかる。たぶん、人類最古に開発されたであろうゲームの囲碁は、同じような盤面が何回も出てくるのに、現在でも「碁打ちは親の死に目にも会えない」といわれるくらい、人を熱中させる何かをもっている。

大嶋さんは反対事例も挙げてくれた。

「複雑な多量の規則のゲームだと、そのような複雑さは現れにくくなってしまうと思います。つまり、その規則同士の限定が厳しすぎるので、結局出てくるパターンは少なくなります。そうしないと、バーチャルな世界は成り立たくなります。これは結局、どのようなバーチャルリアリティでも、パターンが作者によって意図的に計算され、そのような動きを出そうとしているからだと思います。単純な規則は、そのような意図がなく、ユーザの操作の自由度が高くなります」

大嶋さんの指摘にオレの考えていることも加味したい。それは現実の「じゃんけん」をリアリティまで付加したゲームにすることが困難だということだ。ルール立てだけなら、過去からいろいろな「じゃんけん」ゲームが作られてきた。だけど、実際に人と人が対戦するとき、ルールでは表すことができないものが必ず出てくるのだ。相手の目を見たり、グー・チョキ・パーの出現パターンを思い出したり、言葉で相手を牽制したりと、ゲーム以外の駆け引き環境が生じるのだ。大嶋さんは、それを「自然」という言葉でまとめ、シンプルなゲームに向かう人間心理や行動体系が、複雑ゲームとは違うのだと説明してくれた。

RPGは、操作慣れするにしたがって「死んでも経験値が増えるも〜ん」という居直りモードになるときがあるかるなぁ。路地裏の穴場を探し当てた喜びにも匹敵できるゲームタイトルは、常に発表され続けてほしいと思う。

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