あなたに似たモノ

「アンタって誰かに似てると思ってたんだけど、あの男だわ…」
 ある時フェイはそう言った。
 トイレへ続く通路の途中で、わざわざしゃがみ込んでアインを見る。
 「誰も知らないアタシの過去…。知りたい?」
 勿体ぶった口調で話し掛けてきたので、アインはあくびをして見せた。こんな風に切り出されるとはぐらかしたくなるのは犬も人も同じだ。またつまらない嘘だったら自分の脳に覚えさせたくない。
 アインは覚えた事をあまり忘れなかった。
 無機物と合理性と電子音で彩られた研究所の記憶。実験で与えられたそれ自体は無意味な課題や、くり返し突き刺さる針の痛みも忘れなかった。もともと忘れないようにする(知能を蓄積する)ための実験体だったから当然のことではあったけれど。
 だから後でフェイが記憶をなくしたと知った時、彼女を尊敬さえしたものだった。忘れられるなんて、何と素晴らしい事だろう!このろくでもない荷物を振り捨てられたら、今日という日がもっと違って見えるのじゃないだろうか。
 だけどフェイが自分の(知っている限りの)過去を話し始めた時、アインは立ち去れなかった。
 研究所にいた時に、実験のほんの合間に、こんな風にアインに語りかける人々の事を覚えていたからだ。アインが最後まで嫌いになれなかった、ほんのわずかの研究員達だった。
 恋人とのケンカ、遠く離れて暮らす親、同窓生の訃報、仕事のグチ… 。 こんな時アインは少し首をかしげて、相手をじっと見ていた。そして話終えると皆、少しの間ではあったけど優しい顔になった事も、アインは忘れていなかった。だから今も、フェイの話を聞く事にしたのだった。
 フェイの話は、今までに聞いたどの人の話よりも長かった。終いにアインは通路に寝転んでしまった。フェイも途中からアインの存在を忘れてしまったように、壁にもたれて一人喋り続けている。
 アインは目をつぶった。寝たふりに見えても、大きな耳をそば立てて、音のする方に向けていた。
 フェイの昔話はまだ続いている。
 そしてアインは、トイレの中にいる気配と一緒に小さなため息をついた。


「お前のその顔、どこかで見た事あるんだよな」
 ある時ジェットはそう言った。
 それはまだ、アインがアインでなかった頃、いきなり研究所の識別コードに別れを告げ、スーツケース込み200ウーロンと値踏みされ、駄犬呼ばわりされた頃の話。
 アインはジェットを一目見て好きになった。がっしりとした手と暖かい眼差しは、アインを生まれた時から知っていたかのように迎えてくれた。頭や顎の下を太い指でがしがしと掻かれると、魔法にかかったみたいに動けなくなった。
 声を聞いてますます好きになった。低くてゆったりとして、落ち着いて真直ぐな声。この声でなら、どんな命令にも応えられる、信頼できる声だった。
 そして何よりも大好きになったのはにおいだった。ジェットの汗に混じってするにおい-----煙草とゴマ油と腐葉土とグリースと洗剤と硝煙と、まだいろんなにおい。それらのほとんどは初めて嗅ぐものだったけれど、アインは少しも恐くなかった。むしろわくわくと心が踊った。研究所の閉鎖した空間に詰まった、人工の空気とはまるで違う、生きたにおいだとアインは思った。
 いつからかアインは、人の纏うにおいからその性格がおおよそ分かるようになった。自分にとって敵となるか味方となるか。優しい人か冷たい人か。自分の鼻占いの的中率は上々だった。それはあるいは、においの組み合わせによるものなのかもしれない。
 ビバップ号に住み着いた当初は、アインはいつもジェットの後について回っていた。
 食べ物をくれたり、体を洗ってくれたり、首輪をつけてくれたり、気持ち良い頭の後ろを掻いてくれたり。ジェットはアインの一番欲しかった「何てことのない普通の生活」をくれた初めてのボスだった。ジェットのそばにいるだけで、もうそれだけでオシッコしてしまいそうなくらい興奮してしまい、上がった体の熱を逃がすためによく口を開けていた。
 そんな様子を見て、ジェットは言ったのだった。
「その、舌の出た感じが……お?そうか、思い出した!」
 それからジェットは、名前をくれた。
 そしてアインはアインになった。


「そばに寄んな!お前見てるとヤな事思い出すンだよ!」
 ある時スパイクはそう言った。
 ガキとケダモノとハネッ返りの女。スパイクはこの3つを嫌っていて、アインは該当する項目が1つしかなかったのにとても嫌われていた。近よれば足の裏で押し退けられるし、ソファに寝ていると雑誌ではたかれるし。初めて会った時から嫌われてる事は知っていたけど、その訳はしばらく分からなかった。
 けれどアインは気付いていた。アインを見るスパイクの視線には弱いものがあることに。自然界において強いものが弱いものを「嫌う」事はあり得ない。弱者は進んで全てを譲り、強者は黙って全てを手に入れる。生き物たちの暗黙のルールを、文明に浸かった人間だけが無くしてしまった。どんな実験でも、ついに喋ることのできなかったアインは、かろうじて人間になることを免れたのだった。
「…言っとくが、ありゃ事故だぞ。不可抗力だ」
 それはビバップ号の留守をあずかるアインが、マシン大破のために同じく留守役を決め込んだスパイクと、何もない午後をリビングで浪費していた時だった。
 珍しく後を引く言葉に、アインは鼻をヒクつかせて、おおいに好奇心を持ってスパイクを見つめた。ソファに寝転がったスパイクが、横目でアインを見ながら言い訳がましく話し出した事は、次のような内容だった。
 昔スパイクは(曰く「アインに似た」)野良犬をはねてしまい、手のつけられない怪我のひどさと苦しみ様にやむを得ず撃ち殺した。連れていた子犬は人間に慣れず、遠巻きにずっと吠えるだけだったので、その場に残して来た、と。
 一応埋めたんだからな、と弁解するスパイクを、アインは小首をかしげたいつものポーズで相手をしていた。この仕種はどうも人を饒舌にさせるらしい事も、アインは実は知っている。
 この日を境に、かどうかは分からないけれど、アインはあまり嫌われなくなった。それでも近寄るとわざと無視され、ソファで寝ていると煙草をふきかけれられる事はあったけれど。本当にたまに、スパイクの機嫌の良い時には、買ってきた肉マンを分けてもらったり、釣針にかかった雑魚をアインの鼻先に突き付けられたりした。
 そしてアインも、少しだけスパイクを尊敬してやっても良いかと思うようになった。


「ふあ〜〜〜あ」
 エドは何も言わなかった。
 ただ大きなあくびをして、両手をあげて背伸びをすると、後ろに寝ていたアインの上にドサリと倒れ込んで昼寝に入ろうとしていた。
 アインは悲鳴をあげて逃げようともがいたけれど、人間の仕組んだ罠によって短くされた足が、空しく床を引っ掻いただけだった。
 データ犬という心密かな自負のあるアインにも、エドの存在はとても謎で、何を考えて生きているのかさっぱり分からなかった。エドにもエドのことは分からないようで、けれどもエドは困ること無く、エドが分からないことを楽しんでいるようだった。
 アインはエドを観察して思った。世の中、あまり深刻に考える事はないのかもしれない。
 そしてアインは枕の気持ちを想像した。 


コンセプト「アインの視点で考えてみよう」

作/ちゃくしい

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