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リリアンの謎

 引越しをまじかに控えて我が家の雰囲気が毎日変化する。
古き良き時代の家具や雑貨、私がまだ幼かった頃の服や、訳の分からないコレクション、押し入れの奥から時空を超えて直面させる昭和の痕跡は、実に十一年の歳月を映し出す人生の走馬灯である。

 この街に引っ越してきたのは確か小学校五年生の時だ。
あの頃でも今でも、小学校五年生といえばそれなりに成長してアイデンティティも確立し始めた頃だと思われるものだ。
しかし今こうしてタイムマシンの中から当時の雑貨や筆跡を見ると、小学校五年生という生物も実にくだらない存在に思える。

 中でも私が鬼のように集めたコレクションには困惑させられる。

りぼんの付録。
私は小学校を卒業するまでりぼんの愛読者であった。もちろん八割がた付録目当てで毎月350円を消費していた。350円という値段は消費税が施行される前のりぼんの価格である。当時の私の小遣いは月に1000円で、消費税3%が施行されるとりぼんの値段は360円に値上げされ、同時に私の小遣いも1030円に変更した。今考えれば私の両親は何が悲しくて十一歳の小娘に税金を払わなければならなかったのか。その後りぼんは更に価格を上げ、月の収入の四割近くも漫画に投資するのが馬鹿らしく感じた私はおよそ十年の購読を終了させた。

 さすがに十年も同じ雑誌を買っているとその付録の存在たるや、偉大なものである。
いつ頃からか私は自然と付録を集め始め、情熱は激化し、カテゴリー別に区分けしてミスタードーナツの箱三箱に分けて整理し始めた。切り取って組み立てる系のものは切り取らずにそのままの姿で保存される。しかしドウシテモ組み立ててみたいと思う品があったとしたら一度組み立ててまたもとの姿に戻すのだ。真のコレクターは購入されたままの姿にこそ価値を見出すものだが、私は既に小学生にして本道を極めていた。
付録のノートには何人もペンを入れてはならない。いわんやりぼんオリジナル手帳をや。かつて私のコレクションのサイン帳に間抜けなサインを施したふとどきな友人がいた。幸いそれは鉛筆による被害で、丁寧に消しゴムで消去されていた。

 それ程にまで熱心に収集された雑誌の付録も押し入れタイムマシンの乗組員であった。乗員数は多く、彼らの占有面積は約五十平方センチメートル、高さにして八十センチメートル、それだけのものが平成十年に離陸できただけでも奇跡的である。長い時空を超えるにはそれだけ多くの埃をかぶる事になる。彼らは機体はダスキンによって現代の空気に触れることを許され、十数年後のコレクターのもとに戻ってきた。その数たるや、ああ、語るだけでもしんどさを感じるのでここでは割愛させていただく事にする。

しかし、いろんな物がある。

「かすみちゃんスキップバック」、
「まるちゃんのぴょんぴょんうちわ」、
「ランゼの絵日記バインダー」
・・・、

よく集英社の人はこんなモン考えるものだと思う。この付録というものには一年間に一定のサイクルがある。新学期の季節にはノート、バインダー、夏にはビニール袋(それに水着を入れろというのだ)、夏休み手帳、秋にはシール、組み立て用の何がしろ、クリスマスにはそれなりのもの、ツリーとか、来年のカレンダーとか、正月には正月モン、貯金箱、また、バレンタイン、母の日父の日、様々なイベントを見逃さない。それが毎年同じようなものがやってくるのだ。それがくだらない事著しい
「いつか使おう」とでも思っていたのか、「価値が出たら良い値で売り飛ばそう」とでも思っていたのか、二十一の私にどうしろと当時の私はいいたかったのか。もし押し入れに入って当時の私に会いに行けたら質問しに行きたいものである。 それが出来ないから世の中上手くいかないのだ。その理由は謎だけれども、当時の私の「怨念」がその箱から放たれ、捨てる事が出来ない。思い出はとっておいてもいいとは思うが、そんだけでかけりゃ話は別だ。引越し屋にそんなくだらないものを運ばせるには気が引ける。かといって使う気にもなれないし。

 そうこうしているうちに部屋は片付かないまま、引越しの日は近づいて来る。そしてまた新たなタイムトリッパーに遭遇するのだ。彼の名は「リリアン」。彼は場所は取らないが、二十一の私の時間まで拘束するという恐ろしい力を持っている。


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