マニュアルを破り捨てろ


 「BOOL」という言葉を御存じだろうか。これはWINDOWSでプログラムを組む時のキーワードの一つで、ある値が「真」か「偽」かの二通りの結果しか持たないという意味である。何、わからない? 大丈夫です、問題はこれの意味じゃないんだから。
 実はWINDOWSのプログラムを組み始めた頃、マニュアル(オンラインヘルプ)の中にこの言葉を見つけたのだが、意味がわからない。そこで検索を使って探したら、見つかった説明にこう書いてあったのだ。
 「16ビットのブール値です」(原文のまま)
 冗談をいっているのではない、本当にこれだけだったのである。これを書いたのはどんな人なんだろう。顔が見てみたい。私の本職は化学の教師だが、こんな授業をやったら、生徒はあきれかえるだろう。
 「先生、有機化学とは何ですか」
 「そりゃ君、有機の化学だよ」
 これは特にひどい例かも知れない。しかし大規模なソフトのマニュアルでは、しばしば見つかる現象である。ソフトがトラブルを起こし、メッセージが出る。しかし、そのメッセージの意味がわからないのでマニュアルを見るがどこにも書いていない。こんな経験は、ほとんどの人がしているのではないか。今のコンピューターがまだまだ初心者のよく使いこなせるものでないのは、奥が深いからでもなんでもなく、マニュアルにないトラブルをしばしば起こすからである。
 だがまあ、こんなことは前々から言われてきたとも思うので、ここでは別の観点から話をしよう。それは、「ソフトの設計思想」についてである。
 ここで、問題を一つ。WINDOWSはMS−DOSと違ってマルチタスクである。つまり、二つ以上のソフトが同時に起動出来る。では、何のためにそんなことをするのだろうか。ワープロと表計算を同時に起動して、何をしようというのか。
 もちろん、このホームページにやって来られてこれを読んでいるような人なら、答はちゃんと持ってられると思う。ところが、マニュアルや雑誌、ソフトの入門書にはこういった観点が欠落しているような気がする。複数のソフトが同時に起動できますよ、それでそのやり方ですが――。ソフトの使い方はそこそこ書いてあるが、その個々の機能を置いた「理由」はどこにあるのだろう。マルチタスクを初めて知った時、どう思いました? 何か、便利なような気がしただけでしょ?
 ソフトは思想の反映である。いや、すべての道具はそれを発明した人の思想の反映なのだが、コンピューターのソフトウェアほど、それを支えている「考え方」が重要なものはない。特にそれは、ソフトウェアの根幹に位置しているOSに於いて大きい。ちょっと考えて見ればわかることだが、まだハードディスクが普及する前の、フロッピーディスクを入れてリセットしていたような時代には、そもそもMS−DOS(という考え方)がいらなかっのだ。個々のフロッピーディスクが別々のOSを入れていてもなんら不都合はなかったのだから。それが、20メガバイトという「大容量」のハードディスクが登場したとたん、どうしても共通のプラットホームが必要になった。そして、例えば日本語入力システムが複数のソフトで共有出来るようになる。あるソフトで登録した単語は、同じハードディスクなら別のソフトでも変換できるのだ(私が一太郎を好かない理由はこの辺りにある。日本語入力システムをATOKに固定するというのはどういうことなのだ)。この時すでに、「なぜ、ワープロと日本語入力システムは別々のソフトにしたのか」という明確な思想的説明が必要になったはずである。ところが、これはあまり聞いた事がない。一太郎とATOKが(完全ではないが)独立したものであることを、私の職場の人はあまり知らなかった。

 ソフトウェアの説明書を作る時には、その機能だけではなく、設計思想をきちんと頭に置いて欲しい。そうすれば、重要なことほどさらっと書き流すなんてことが少なくなるはずだ。例えば、WINDOWSのOS本体・個々のソフトのどちらに於いても重要なはずの考え方「WINDOWSでは、操作の対象の選択が先である」ことと「すべての特殊な操作は上のメニューバーで出来なくてはならない」は、どこに書いてあるのだろうか。ワープロの中で書体を変えたい。まず、変えたい部分をマウスで選択する。それから上のメニューを探せばどこかに見つかるはずである。だいたいは、「書式」とかそういうところだ。そして、ここで覚えた事は表計算でも同じである。こんな簡単なことがわかっていないと、何度もかんどもマニュアルを見るか人に聞くことになる。ちょっとしたことなのに(またしても、一太郎に苦言。少なくともヴァージョン6までは、メニューバーではなく、ESCメニューを使わなくては出来ないことがあった。一太郎の設計思想の中に「DOS版のユーザーを大切にする」というのがあるのだろうが、それにしても、である)。
 ということで、私はマニュアルをあまり見ないでソフトを動かしている。とにかくインストールして、ちょっと動かしてみる。大抵は、上に書いたWINDOWSの常識で充分だ。それからおもむろにマニュアルを開いて流し読み。どこに何があるかを調べておく。それでもその後ほとんど開くことはない。オンラインヘルプの方が使い勝手がいいからである。市販の入門書の類も、ナツメ社のハンドブック・シリーズを抜かしてあまり役に立たない。だから、ほとんど見ていない。これが現在のマニュアル・入門書に対する私の評価である。

 さて、WINDOWS’95の3.1からのもっとも重要な変更点は、やれ32ビットになっただの本格的なマルチタスクになっただの、そんなことではない。それは技術者の発想であって、一般ユーザーにはどうでもいいことだ。最大の変更点は、ワープロや表計算でユーザーが作ったデータファイルの扱い方である。3.1ではソフトそのものが重要だったのが、95ではデータが主体なのだ。この辺については、ASAHIパソコンでちょっと言われただけで、あとはほとんど書かれていない。しかし、それをここに書く気力はとてもない。どこかの雑誌で原稿を買ってくれないだろうか。お金が入れば、きっとやる気になると思う(つまり、売り込みでした)。


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