コンピューターの経済観念


 ASAHIパソコンの記事で、「デジタルアート『超』入門」とかいうのがあった。その最初の紹介みたいなところに、「高いソフトは必要ない」と書いてある。魅力的ではありませんか、これ。それで私は、てっきり良いフリーウェアかペイントなどの95付属ソフトの裏技を教えてくれるのだと思ったのだ。ところが中を読んでみると、結局は市販ソフトの提灯記事で、その値段が安くて1万円ちょい、高い方は2万円を越える。出来上がったCGをビデオに落としたり、逆にビデオから取り込むにはどうしたらいいかも書いてあるが、ここには9万円を越えるキャプチャーボードが紹介されていた。「ちょっとした投資でできるようになる」と添えて――。
 1万円を例にとった場合、例えば、土地、家、車、海外旅行などがこの値段だったら、それは文句なく安い。実際払うかどうかは別にして、通念としては絶対に安い。ペンティアム・コンピューターの本体や、カラー・インクジェット・プリンターなども、この値段だったらばんばん売れるだろう。しかし、コーヒー、ノート、プリンター用の紙、公衆電話代などがこれだったら、誰だって怒る。特別なプレミアのついた物でない限り、よっぽどの金持でないと払えないし、そもそもこれらに1万円払っていたら、金持になれまい。
 問題は、CGソフトの1万円は安いか高いか、である。これを使うのが仕事であり、それによって稼ぐことが出来るのなら安いかも知れない。あるいは、本当にそれが趣味であって、毎日のようにCGやろうとしているなら、充分満足出来るだろう(例えば、ピアノなどは何10万円の単位だが、毎日弾いている人にとってはさほど高くない)。
 しかし、ああいったコンピューター雑誌で「CGをやってみよう」というような記事の場合、たまたま目にした読者がほとんどCGなど知らず、「おっ、これも面白そうだぞ」という程度の人だったら、1万円のソフトを安いと思うのだろうか(ASAHIパソコンは駅の売店で売っている雑誌だ)。ましてや、「高いソフトなどいらない」とキャプションがついているのである。これはちょっとびっくりしません? 私、驚いたというか、あきれたんですけど。おまけに、9万円のハードが「ちょっとした投資」なんですぜ。
 もしかするとこれは、ソフトが安くて4〜5万円、どうかすると平気で10万円を越えるような時代の感覚から比べて安いということなのかも知れない。確か、ロータスの123は、最初10万円になんなんとする価格だったと思う。それが今ではずっと性能が上がって、その何分の一かだ。デスクトップの本体だって10万円を切るようになった。昔を知っていれば、これらや1万円ちょっとのCGソフトは夢のように安いのかも知れない。
 だからこそ、雑誌の記事はああして簡単に「思い切って買い替えを」と書くのだろうか。30〜40万円のコンピューターは、この業界から見れば安いのだろうか。
 だとすると、これは警戒する必要がある。コンピューターを長く扱っていると、経済観念が狂って来るのだ。現に自分だって、インターネットのために機械を強化するのにいくらかかったのだろう。それを平気でぽんぽん出してしまった。もしかしたら既に脳が犯されていて――。

 経済観念は時代とともに変わっていく。10年、20年のオーダーで見ても、例えば食費や土地は上がっているが、家電などはむしろ下がっているとも言えるのだ。家にあるシンセサイザーは30万円を25万円に値引きで買ったが、あれ以下の性能のものが高校生のころは一千万円だったと思う。同じ頃二万円以上はしていた電卓などは千円を切ってしまった。もしかしたらそのうち、コンピューターに1万円以上出していたなんて信じられないという時代が来るのだろうか。最近のセガやソニーの動向を見ていると、あながちむちゃくちゃな予想とも思えないのだが――。ディスプレイなんて、テレビで充分なはずなのだ。そしてそのような時代、ビデオボードが1980円になって初めて、「高いハードもソフトもいらない」といえるのだと思う。今のコンピューター雑誌の経済感覚は、明らかに狂っている。

宇宙暦28年9月26日)


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