さらば携帯電話


 携帯電話を解約した。二度目の解約、しかも一度目との間に半年とおいていない。正確に言えば三度目なのだが、最初のは家族割引のために会社を替えた時だから、やはりこれは解約とはいえまい。
 ここで先に書いておかねばならないのは、私がここに至るまでに別に何らかのポリシーを持っていたわけではなく、実は数年間普通に携帯電話を使っていたという事実である。ちょっとネットで検索してみると、最初から携帯電話を持っていないという人はかなりいる。大抵は、電波が体に悪いんじゃないかとか、見ていてダサいとかそういった理由で、携帯電話が嫌いな人達だ。それはそれで一つの見識や意見だろうし、ここではその手の類いの話をするつもりはない。自分としての感覚では、たとえ電車の中で他の人が電話で話しているのを見ても別に嫌な気はしないし、迷惑だとも思っていない。心臓ペースメーカーがどうとかについては、これは実際問題としてどの程度の危険があるのかわからないので意見は差し控える。ただ、日本ではそれ以上に大量に人を殺している自動車が、ようやく飲酒運転についての取締りが厳しくなっただけで、まだまだ免許が安易に与えられているのではないかという点だけは指摘しておくべきか。ちなみに私は、車の免許を持っていない。運転に自信がないからである。

 さて、それでは何でまた、ちゃんと便利に使っていて、特にその普及に反対してもいない機械を、二度に渡って、しかも非常に短期のうちに解約することになったか、である。

 一度目は、今年(宇宙暦38年)の三月である。確か、妻が自分の携帯電話をバッグに入れてしまうためにちっとも掛からず、それで腹を立てて壊してしまったのだ(実は私は鬱病である)。それでしばらくの間持たないでいて、その時は何だか気分がすっきりしていた(この理由が重要なので、後述します)ので一度解約した。ところが旅行の際にちょっとした不便を感じたために帰りに再び買うことになり、それが半年も経たないうちに、今度は料金に関する口論が元で壊してしまったのである(これは自分も悪かったことは認める)。
 問題は、この後続けて使うために新しいのを買うかどうかだ。それでしばらく、試験期間として持ち歩かない時期を作り、一ヶ月余り経って、どうやら持つ時の利便性と持たない時の気分の良さ(あるいは、三度目の叩き壊しの危険)を計りにかけて、結局は解約して、無期限に廃止する方が良いという結論を出したわけである。
 つまり、他の携帯電話嫌いの人と違うのは、数年の間ちゃんと便利に使っている間、実は自分がこの機械を嫌いであることに全然気がつかなかった点にある。随分と間抜けな話だが、逆に言えば利便性も充分承知しており、更に他人が使うのは全然かまわない、単に自分には合わないだけなのだと自信を持って言えるわけでもある。だいたい電車の中では、携帯電話より子供のしつけをちゃんとして欲しいと思うし、大声で話し合っている人達に対する注意を車内放送で流しているのは聞いたことがないので、何だか携帯電話だけが毛嫌いされているように思うのは私だけだろうか。

 それでは私は何故携帯電話が嫌いなのだろうか。

 ここで改めて自分のことを振り返ってみると、結局私はそもそも携帯型だけではなく、電話が好きでない。これはネットで他の人も書いておられるが、電話というやつはこちらの都合に関係なくかかってくる。例えば休日に昼寝をしている時、電話で叩き起こされてそれが、やれマンションを買えだの、子供の家庭教師はいらないかだのの内容だった時は、本当に腹が立つ。向こうは向こうで都合があるのだろうが、本当に電話勧誘って効果がどの程度あるんですかね。何だか却って心象を悪くしてしまいそうな気がするのだが――。世の中では迷惑メールが問題になっているが、あれは現在プロバイダーのフィルターがかなり優秀に振り分けてくれるので、タイトルを見て確認すれば済むし、それも好きな時に出来る。しかし電話はそうはいかないのだ。
 それでも家に電話を引いてあるのは、やはり利便性を採っているからである。無ければいろいろと困ることがあるからだ。昔はともかく、現在の世の中は家に電話があることを前提に動いているので、仕事の上でも困るだろう。
 では、携帯電話はどうか。基本的には同じである。ただ、こちらに勧誘はさすがに掛かって来ない。問題はそんなことではなく、これが例えば繁華街を歩いているような、着信音の聞こえにくい場所でも掛かって来る点にある。
 実はここで、もう一つの携帯電話を嫌いな点について説明しなくてはならない。私は妻にもあれは解約すべきだと言っている。それは、妻がしばしばこちらの掛けた電話に出ないからだ。理由はといえば、ハンドバッグに入れて手元に置いていなかったり、前述のように周りがうるさい所では着信に気がつかないためだという。つまり、少なくともうちに関しては、相手が出ないことが多くて、その本来の利便性が発揮出来ないのだ。これでは何にもならない。だから私は、自分が解約してしまってからは、家の固定電話からも妻の携帯電話には掛けないことにした。これは一つのポリシーなのかも知れない(単なる意地っ張りの声もあり)。

 私は電話を相手に掛ける時は、ある程度迷惑を掛けることを覚悟している。自分が嫌いなのだから同然である。しかし、何かの理由でどうしても掛けなくてはならないこともあるだろう。そのため、自分は電話が掛かって来ることを好きではなくとも、よんどころない事情で誰かがこちらに掛けて来るのは仕方がないと思う(中には嬉しい知らせだってないことはない)。
 そのため――ここが重要な点――、携帯電話を持ち歩く時は、着信音の聞き逃しがないかどうか、常に神経を尖らせていなくてはならない。静かな場所ならともかく、例えば街のやかましい場所を歩く時なども、心の幾分かはポケットの電話の振動に注意を向けている。妻が、ちゃんと出られる立場にありながら、聞き逃しのために出ない時に腹を立てるのなら、自分もそれに気をつけないのはインチキだ。それに疲れてしまったのである。
 ということで、実際に解約して、家族に、私があれを持っていないことを前提にして貰った結果、速報性は幾分か薄れるが、毎日ちゃんと顔を合わせている相手ではあるし、特に不便を感じない上に、あの、常時、着信に尖らせていた神経を使うことがなくなった分、安らかになれたわけである。

 携帯電話に関するマナーは、周りの人に対してだけにあるのではない。掛ける相手、掛けて来る相手についてもあると思う。自分が相手に掛ける時は、その相手がちゃんと出られる立場にある(例えば時間的に)のかどうか、本当に掛ける必要があるのかどうか、その点をよく考えるべきだ。また、受ける側の立場としては、いやしくも出られる立場にある時は、聞き逃しなんぞで出なかったで済ましてはいけない。電子メールがこれだけ発達しているからには(特に携帯電話にもその機能があるからには)、直接通話に訴えてきた相手にはそれなりの理由があると考えるべきだし、また掛ける側もそうでないといけないと思う。これらがきちんと考えられれば、周囲の人に掛ける迷惑についても、かなりの分が解決するだろう。

 というわけで、私はたとえ迷惑メールがわんさとやって来ようとも、電子メールの方が好きである。好きな時に見られるし、相手に対してもそれは同じだからだ。その代わり、一日に数回はメールボックスを覗く習慣がついている(そうしないと、スパムが溜まり過ぎるというのもあるが)。元々ネットはいろいろな理由で使うので、これは苦でも何でもない。こんな私が携帯電話を再び持つ日がいつか来るのだろうか。現在は、モバイルコンピューターにデータ通信カードを入れることを検討中である。

宇宙暦38年12月18日)


開発室に戻る