WINDOWS’95に対応したって?


 実は今、少々迷っていることがある。というのは、ボーランド社からTurboC++のWINDOWS’95対応版が出るという案内が来ていて、ヴァージョンアップもかなり安くてそれはいいのだが、問題は、そもそもこのホームページに上げてあるようなソフトが32ビットになってどういう意味があるのか、自分でもよくわからないのである。わざわざソースコードをいじってまで3.1で動かないソフトをアップするのがいいことなのか。もともとそんなに作動が遅いような巨大なソフトではないし、ファイルを直接扱わないので、長いファイル名も関係ない。そんなことして、新しいバグが出てしまったらどうしよう。困った困った。でも、コンパイラのヴァージョンアップは当然やるんだよな。だったらやっぱり、両方上げておくべきか。
 WINDOWS’95は確かにいい。もちろん完全であるとはいわないし、どうも起動が遅いのが気に入らないのだが、総体としてはよく出来ている。何よりも重要なことは、オペレーティング・システム全体がOLEクライアントとして作動するところで、この点のコツを一回つかんでしまえば、ディレクトリの海の中にデータファイルを見失うこともまずなくなるし、ソフト自体が長いファイル名に対応していなくてもまったく困らない(現に私は、Vzで長いファイル名のデータをしっかり扱っている)。にもかかわらず、16ビットか32ビットかなんていうソフトの使い勝手と本質的に関係のない、隠れた部分が強調されているようで、はっきりいってそんなこと素人にはどうでもいいのである。だって、32ビットになったなんて言われても、何か数字が大きくなって良くなったような「気がする」だけでしょ、普通のユーザーの場合。
 だから、「駅すぱあと for WINDOWS」なんてのがずっと16ビットでやっているのは、とてもいいことだと思う。あのようなタイプのソフトの場合、特に使い勝手に影響するわけでもないのに32ビットにして、未だにかなり潜在していると思われる3.1のユーザーを犠牲にしても何の意味もない。だから、「元素周期表」なんてのを32ビットにするのは、多分自分のプログラムの練習になるくらいで、ユーザーの方にはあまりメリットがないだろう。といいながらも、練習のためにきっとやるんだけど。もしも32ビット版をアップしても、既に16ビットでちゃんと動いているなら、よく説明を読んでからダウンして下さいね。

 では、ビット数なんかとは無関係な、ユーザーの使い勝手に直接影響する95対応とは何か。以下、これについて考えてみる。

  1. 長いファイル名への対応
       上にも書いたのだが、WINDOWS’95のユーザーインターフェイスの特徴がちゃんとわかっていれば、ソフト自体が長いファイル名に対応していなくても一向構わない。ただ、もちろんソフト自体がファイル名を変えたり出来ればそのほうがいいに決まってるし、タイトルバーにも編集中のファイル名が出るわけだから、そこにもちゃんと表示して欲しい。このためには、とりあえずソフト自身が長いファイル名に対応する必要は、確かにある。他のところにも書いた通り、出来ればDOSのソフトも対応して欲しいものである。不可能ではないと聞いている。少なくとも、その辺のシステムコールの使い方がきちんと公開されれば――。

  2. データとファイルの数の関係
       上の方に書いたことと関係があるのだが、これからはソフトの中からファイルを呼び出すのではなく、ファイルのアイコンからソフトを呼び出すOLE型が主流になるべきかと思う。だとすると、一太郎のVer.3のように、一つのデータにファイル三つというようなのは、整理に困る。現に一太郎もその次のヴァージョンからはファイルが一つになった。これは別に95対応と関係なく、本当に複数のファイルをデータ一つに当てる必要があるのかどうかは、常に検討すべきだろう(画像は埋め込みかリンクかとか)。しかし、総体としての95対応ソフトは、データファイルを一つに集約して欲しい。リレーショナルデータベースなど、ディレクトリ一つを占有して数十のファイルを作るのがあったが、あれは95では大変に使いにくい。

  3. ユーザーインターフェイスの統一
       3.1用のソフトを使っていてときたま不便に感じるのは、ダイアログボックスのデザインなどが統一されていないことである。95になってから、その辺りのガイドラインも統一されるのだろうか。もちろん、これには議論の余地があると思う。どこまでがソフトの個性とすべきか、あるいは統一すべきか――何でもかんでも揃えていったら、結局ソフトはみんな同じになってしまって(どうも、この傾向は少しずつ出て来たようだが)、競争原理が成り立たない。ただ、例えばファイルの読み書きなどのダイアログは統一されてもいい。他にもドラッグアンドドロップの使い方や、マウスの右ボタンの機能など、考えるべきことはたくさんある。
 さて、結局これらが実現するのなら、内部的な16ビット・32ビットはユーザーにはどうでもいい。我々が見ている(関係がある)のはあくまでもソフトの表面であって、ソースコードやライブラリの実態ではないからだ。したがって、逆に考えると次のような点は全く自慢になるまい。
  1. 32ビット化したという事実そのもの
       これが自慢になっているうちは、パソコンはわかりやすくならない。わかりやすくならなくてもいいというのならそれでかまわないが、最近の傾向は、とにかく初心者でも簡単に、である。32ビット化して、だからなんだというのか。もしかしたら、次の点を自慢したいのか。

  2. 安定した
       つまり、3.1の時は不安定だったといってるのである。現段階では仕方ないのかも知れないが、前がよくなかったから今回は直したというのは当たり前のことであって、決して誉められるものではない。

  3. 速くなった
       体感で言って、確かに環境によっては95の方が速いようである。ただし、あくまで環境による。場合によっては遅くなることがしばしばある。ただ、3.1+3.1用ソフトより速くなるという話は今のところ聞かない。95で3.1用ソフトを動かす時より速いと言うだけなら、これはそもそも95を駄目だといってるようなものだ。

  4. てんこ盛り
       以上のような32ビット化と直接の関係はない自慢でまずいものというと、要するに新しい機能をたくさん付けたという奴である。もちろん、今までの16ビット版でこの点が不便だったからそこを改良したというなら、これは当然のことだ。困るのは、32ビット化するついでに、やたらといりもしない(としか思えない)機能をごちゃごちゃ付けてくれる所で、これをやったソフトはだいたいにおいて(という程は数を知らないが)、ファイルサイズは大きくなる、バグは発生する、不安定になるなど、ロクなことはない。ソフトをきちんと作動させるには、プログラムの肥大化は避けるべきだ。ソースコードが大きくなればバグの混入は当然増えるし、そうでなくとも使わない機能のためにファイルが大きくなってうれしいはずがない。読込みが遅くなる上に、ハードディスクを圧迫するだけである。
 ソフトはオペレーティング・システムを知らないと作れない。それも、32ビットがどうとかなんていう内部仕様ではなく、そのオペレーティング・システムを支えている考え方を知らなくては――。前に職場にデモに来た教育ソフトなど、音楽を再生するのに98のFM音源を直接コントロールするようになっていた。結果として、少なくともその部分は98でないと使えない。MIDIにしておけば機種依存しないし、将来的にも拡張の可能性があるはずなのに(デモンストレーションに来たセールスマンに、なんでMIDIを採用しなかったのかと聞いたら、それは何のことかと抜かした。言っておくが、これは95年12月、すでにWINDOWS’95も発売された後のことである)。
 「95対応のソフト」という奴も、どうも95の研究をちゃんとせずに作ったとしか思えないものがある。95ソフトもまた、95をちゃんと使えない人には作れない。

宇宙暦28年9月25日)


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